◆角川文庫版「彩雲国物語十六 蒼き迷宮の巫女」(イラスト/弥生しろさん)
2023年3月下旬発売。
(収録外伝「空の青、風の呼ぶ声」
*ビーンズ版の番外編に収録済みのものです)
「この表紙は誰だなんぞという愚問をまさかいうまいな?16巻じゃ」
白木の椅子に優雅に腰かける。
はだしの瑠花に、羽羽が絹の沓(くつ)をはかせる。
「次の『紫闇の玉座』がシリーズ最後のタイトルとなる。
この16巻は終盤戦の手前にあたる。
紅秀麗や珠翠が何を選択するかは読んで確かめることじゃ。
…わらわのいうべきことは何もない。
こぼれ話か…。
初登場となる紅州州牧、劉志美(りゅう・しび)は、紅黎深らと多少の縁がある人物での。
その話は角川文庫「彩雲国秘抄 骸骨を乞う」の中の外伝『運命が出会う夜―悪夢の国試組―』として収録されておる。「黎深たちとどういう関係?」と不思議に思ったものは、こちらの話でわかろう。紅黎深、黄奇人や管飛翔、鄭悠舜らが初めて国試で出会うエピソードでもある。
が…、
この外伝以外の「骸骨を乞う」のストーリーは『シリーズ完結後の時間軸』が入りこんでくるゆえ、最終巻前にウッカリ読むとネタバレ(?)になるおそれがある。『紫闇の玉座』を未読の者は注意するがよい。
さて、こたびの巻では、とある「魔除けの木」がファンタジーのアイテムのごとく登場しておるが、そちらの世界に実在する木じゃ。栴檀(せんだん)科で、効能も作中に書いてある通り。
雪乃が蝗害の資料を読んでいた時に見つけての。雪乃は「すごいなこの木!エリクサーかいな…。栴檀科かー…じゃ、作中ではミナミセンダンってことにしよう」となんっっっっのヒネリもない名づけをしおった。そちらの世界では別の名の木らしいがの。木の名?…。
(羽羽が「姫様…作者はどこにメモったか忘れたようで…栴檀科だったな…としか覚えてないようでござります」と耳打ち)
そちらの世界での名は知らぬわ(キッパリ)。
雪乃が個人的に思いだすのは、作中で藍楸瑛が歩いた鍾乳洞のことじゃ。
これにはモデルがある。岩手県の龍泉洞(りゅうせんどう)がそれじゃ。
雪乃は昔、友人と何度か岩手県へ旅をしての。
毛越寺(もうつうじ)の宿坊に泊まり、中尊寺金色堂で目のお守りを買い、鍾乳洞である龍泉洞に入り、友人の運転する車で三陸海岸まで出た。このとき雪乃は財布をどっかに落として文無しになってすごいへこみながら、車窓に流れる、いつまでもつづく山や海を見ておった。(ついでに落とした財布は心優しき者が盛岡駅へ届けてくれていたというオチがついておる)。
まだ東日本大震災の前じゃった。
あの美しい山と海の景色は、今もかわらず雪乃の目に残っている。
藍楸瑛が鍾乳洞を歩く場面を読むたび、思いだす。
龍泉洞をコウモリが飛んでいたこともな…。
さて、本編こぼれ話のしめくくりじゃ。
『いったいわたしはなぜこの職業に自分を賭けたのだろうか。
自分の好きなものをつくるためではなかった。
何よりもまず、自分が嫌なものを流行遅れにするためだった。目にするものすべてにうんざりさせられた』(ポール・モラン『シャネル 人生を語る』より)
ふふ、わらわ好みの言葉じゃ。
女人の体をしめつけるコルセットを追放し、着心地がよく自由もきくジャージ―生地で服をつくったように、
「自分の嫌いなスタイルを抹殺する」ために自らの才能と生涯をかけた、モードの革命家ココ・シャネル。
作者がこの言葉を知ったとき、旺季の信念や生き様が見えた、といってよい。
旺季の『嫌いなもののために生きてきた』というセリフは、ここからとった。
※
ここからは外伝じゃ。…外伝で100ページをゆうにこえておるぞ…。
外伝『空の青、風の呼ぶ声』は燕青と静蘭の過去が描かれる。
燕青は二巻から登場しておるが、そのころから作者は話自体は考えておった。
シリーズでもちょいちょい「二人の過去に何かがあったらしい」と思わせるやりとりがあり、四、五巻での秀麗たちの茶州行きでも、«殺刃賊»との因縁が見えてはいたものの、しかとは書かれなかった。
この外伝でそのピースがうまるようになっておる。
少年時代の浪燕青と茈静蘭の出会いと、別れ。
静蘭のストーリーとしては、前巻外伝『鈴蘭の咲く頃に』の続きともなる。
浪燕青の名を、『水滸伝』の浪子(ろうし)燕青からとったことは、以前ブログで書いた。
この外伝では、水滸伝からいろいろ調達しておる。
たとえば«殺刃賊»の親玉の晁蓋(ちょうがい)は、水滸伝の初期の頭目の名での。
智多星(ちたせい)や小旋風(しょうせんぷう)といったあだ名も、水滸伝に出てくる。短命二郎(たんめいじろう)なんぞは阮小五(げんしょうご)という名までそのまんまもらった。
主人公が燕青ゆえ笑いはあるが…それだけが救いというべきかもしれぬ、
シリーズ屈指のシリアスな話じゃ。心せよ。
長らくあたためていたためか、書き始めたら一気に書きあがったという、雪乃にしては珍しい物語であった。
また、晁蓋と瞑祥(めいしょう)という二人のキャラクターの、いびつな愛憎、暗い執着やねじくれた関係性は、雪乃がそれまで書いたことのないものであった。
この二人が雪乃のどこから出てきたのか今もって不思議じゃ。
雪乃がおそらくは初めて書いた「生まれてから死ぬまで自ら光を避けつづけたキャラクター」、彩雲国中でも珍しいタイプじゃ。二人の暗い奇妙な関係性は作者も気に入っておる。書こうと思って書けるたぐいではないせいやもしれぬ。思いがけず物語に生った実をもいだようであった。
…?ウグイスの声がしたか…?
そちらの世界から届いたものとみゆる。
そうか、そちらはもう春か。
…弱きものの声を聞く為政者であるように願う」
瑠花が白木の椅子から立ち、歩き出す。
「わたくしの姫様」、と羽羽は瑠花へ呼びかけた。
「凍える雪原でも顔色一つ変えず、素足でこよなく美しく舞えるのは姫様だけにござりましょう。
表紙の絵さながら、寒々しく、もの狂おしく、血まみれの足裏を決して気取らせず…余人にはかなわぬ姫様の道行きでございました」