角川文庫新装版『彩雲国物語十五 暗き黄昏の宮』9月下旬発売予定です

 


   ◆角川文庫版「彩雲国物語十五 暗き黄昏の宮」(イラスト/弥生しろさん)

2022年9月下旬発売。
 (収録外伝「鈴蘭の咲く頃に」
*ビーンズ版の番外編に収録済みのものです)

「今回の表紙は私なのですが……私、15巻での登場回数が……。
いっ、いえ、なんでもございません。
申し遅れました、珠翠と申します。表紙のお花は椿です。
私が後宮でよく白い椿を一輪挿しに飾っていたこと、弥生先生どうしてご存じなのかしら…??

15巻は登場人物紹介がございます。雪乃の担当さまがつくってくだすったものです。

担当「15巻から登場人物紹介をつけようか迷い中で…読者の要望があるんですよね…」
雪乃「そんならつけたらよいのでは」
担当「…でもねぇ15巻から唐突に登場人物紹介をのっけるって…体裁が美しくないんですよ……美しくない…そうは思いませんか…」
雪乃「え………?」
(雪乃注:編集者のいう「体裁が悪い」は「本として美しくない」という意味である。「体裁の美しい本」をつくるため、欧陽玉なみに日夜命を燃やしているのが編集者なのである)
担当「悩みますよ……つけるかつけまいか…」(←懊悩)

たいそうお悩みになったようで、最後の最後に、登場人物紹介のページが、原稿の上にそっとのせてありました。…登場人物の多さに編集者魂を売らせてしまったわ…。
……それか…今回の加筆修正の多さに担当さまは幽体離脱していたのかもしれません…。

それにしても…(15巻を読む)。
私の知らないところで……こんなことが起きていたのね……。
秀麗様…っ(滂沱の涙)
王…(さめざめ)

ちょっと、あのボウフラ元将軍、もっと役に立ったらどうなの!???
…まあ、てんから役立たずってこともなかったようだけども…。


本書で、羽羽さまがかつて瑠花さまに申された約束の言葉、私、とても好きなのです。
『黄昏(ゆうぐれ)を再会の時にいたしましょう』
屈原(くつげん)の『楚辞』の一篇で作者が見つけた言葉です。

昔、あなたは私と約束をして、
「日の夕暮れを会う約束の時にしよう」
とおっしゃったのに、あなたは途中でそむき、心変わりをされた…。

臣下の屈原が、諫言ゆえに寵愛を失い、主君が自らを遠ざけたことを、
恋人同士の約束のように書いたものだといいます。

「黄昏(たそがれ)」には「晩年」という意味もあります。
それを思えば、在りし日、羽羽さまが瑠花さまに、
『黄昏(ゆうぐれ)を再会の時にいたしましょう』
と告げたことが、いろんな意味をもつようで……切なくて愛しいようで……。
羽羽さまと瑠花さまお二人だからこそのお言葉に思えてならないのです。

また、作中の、九つの太陽を弓で射落とした話は、中国の神話の一説にございます。
太古、十個の太陽が空にならびでて地上を焼き尽くしたので、尭(ぎょう)の帝がおどろいて、「これでは世界が焼け滅んでしまう。太陽は一つでたくさんじゃ。残りの9つは射落としてしまえ」と弓のたくみな羿(げい)に命じた。
羿(げい)が太陽に矢を放つと、9つの太陽の中にそれぞれすむ烏(からす)を射抜いて、9羽の烏(からす)は死んでしまった。それで地上は焼けなくてすんだということです。

本編は登場人物それぞれ、急速に変化が起こっていく巻になります。それは、私自身にも…。
悩まずに、苦しまずに、間違えずに歩いて行けるくらい器用だったらいいのに…。
でも、悩んだとき、苦しんでもがくとき、間違えたとき、自分がどうするかが…、
「私」をつくっていくのかしら…?

…だとしてもどうか、そちらの世界でも、ずたずたになるまで苦しまないでください、ね。

外伝の「鈴蘭の咲く頃に」は、清苑公子のエピソードになります。
おそらくは、静蘭さんが決して口にしない時代のお話…。
……藍楸瑛と司馬迅もチャッカリ登場してるわ……あのボウフラ少年時代からサッパリ変わってない……。
そういえば私も、この御前試合を見たような……ちょうど私が後宮に入ったか入らないかという頃おいかしら…観覧してたかもしれないわね。


ついでにこの夏作者はサバサバサバ人間でございましたよ。
謎にサバ缶ばかり食べて、サバ(みそ煮缶)サバ(水煮缶)サバ(醤油味缶)をリピート、今の雪乃はほぼサバでできているかと…。友人に「せめて別のお魚もくわえて!マグロ缶とか!」といわれておりました。
いまそちらの世界で流行っておられるとか…たしか自サバ人間といったかしら…?

それでは、次の巻でお目にかかれますよう。
皆様、どうぞお元気でお過ごしください、ね。