本の紹介『薔薇の名前 上下』ウンベルト・エーコ著・河島英昭訳


 『薔薇の名前 上下』ウンベルト・エーコ著・河島英明訳(東京創元社)


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十月にはいり、少しずつ秋めいてきましたね、雪乃紗衣です。

虫の声をきくたび、いつのまに、もう十月になってしまったのだろう、とぼんやり思います。またたくまに過ぎさった、でも奇妙に長くも感じるような、この半年でした。

半年前の四月。拙著『永遠の夏をあとに』が出たのは、緊急事態宣言のさなかでした。

町はひっそりし、小学校や公園からも声が途絶え、鳥の声ばかりがとてもきれいに響く朝がつづきました。静まりかえった世界、という本の表現がありますが、そのただなかにいると感じたのは、私の中では二回目のことでした。

一度目は3.11の夜。

彩雲国物語の最終巻『紫闇の玉座 上下』(2011、6月と7月刊行)をラストまで書きあげて、原稿をメールで編集部に送ったその数時間後、震災が起きました(私は茨城に住んでいました)。徹夜明けはいつもフラフラなので、おそらく寝ていたのではないかと思いますが、記憶にあるのは携帯を手に外にいて、担当さんに電話をしたことです。震災直後は電話が通じたのですが、それから不通になりました。

世界にひびがはいり、救急車のサイレンだけが聞こえて、夕方になっても、カラスの鳴き声一つしませんでした。ひっきりなしに救急車のサイレンと、犬の遠吠えが聞こえていましたが、なのに世界は奇妙に静かに思えました。

それから少しして、震度6の地震で、部屋ごとひっくり返したような自室で、私はひとり、片付けもせず窓辺に座り、さしこむ太陽の光を頼りに、届いた紙の原稿を膝にのせて、赤ペンで校正をしました。(宅配は不通でしたが、郵便は生きていて、郵便屋さんは原稿を届けてくれたのです。同3月でした)そこまでは覚えてますが、自分がどうやってその原稿を送り返したのかは、全然思い出せません。容赦なくきた原稿と一緒に、『非常食』と担当さんがつめてくれた、大量のチョコレート菓子は覚えてる…(←優しいんだか、ひどいんだか…いえ、すごく嬉しかったです笑)。

震災での輸送路の寸断、本を刷るだけの紙の確保はできるのか、印刷所は稼働可能か…。

今でも私は、あの混乱のさなか、どうして予定通りに6月・7月連続刊行ができたのか、不思議になります。

わかるのは、編集さんや出版社、印刷所の人たちが、死に物狂いで動いてくれていた、ということだけで。多分、あらゆる出版関連のひとたちが、それぞれの本のために。


2020年4月。

自粛要請のなか、『本を刷るためには、印刷所へ出勤してもらわないとならない』『それは不要不急に入るのだろうか…』そんな迷いを、ある編集さんがぽつっと漏らしました(拙著は自粛要請前に刷り上がったので、本になりました)。

書店さんも、多くお休みとなりました。

本はできあがったけれど、その本を届ける場所がない、売る場所がない、そもそも『永遠の夏をあとに』が4月に刊行したことを、読者にどうやって伝えればいいのだろう…。

編集さんや出版社さんは、できることをしようと動いてくださいました。あの2011年のときのように。あれほど嬉しかったことはありません。

私も何かしたくなりました。

笑ってほしいなあと、思いました(やれてるかはともかく…)。

3月には、2ヶ月後に自分がブログをつくっているとは、夢にも思わなかったですが…。

ちなみになぜ『本の紹介』かというと、子どものころから、落ち込むと、私自身が本や漫画を読んで現実逃避してきたから、です。頭の中が、私の隠れ家でした。だから長い物語ほど大好きでした。読み終わるまで、長く長く現実逃避ができるから。読み終わると、ほんのちょっと元気になれるから。また現実世界に戻ろうかと、思えるくらい。

この4月以来、無性に本を読みたくて仕方なく…自分のその癖を、久しぶりに思い出しました。三つ子の魂百まで。


期間限定で始めたこの『幻燈』。

こういった形で、また『彼ら』と再会できるとは、私自身も、思っていませんでした。書くのは、楽しくも大変でしたが……いやもう本っっ当にエネルギーを容赦なく吸い取ってくれます……。。。

(サイドバーに抜粋したケストナーの『飛ぶ教室』、これ、タイトルからは「どんな話???」と思うかもしれませんが(←ほかならぬ私がそうでした…)、寄宿学校で過ごす少年たちの、クリスマスまでの物語です。じんときます)

作者自身と同じくふ~らふらとあっちが更新されたり、されなかったり…(すみません…)。

『永遠の夏をあとに』の紹介から始まり、その主人公・拓人(たくと)が、神隠しから帰還した、10月15日でいったんひと区切りとなります。

とはいえ、新刊案内など、あると便利かしら……とも思ったので、たまーに更新される……かもしれません。


この半年、

元気でいる、って、どうやるんだっけ…?元気な自分って、どんなだっけ?急に「わからなくなる」ことがあります。「元気を出すなんて簡単なこと」「なんでできないんだろう」家から出ないだけなのに。こんなの、たいしたことじゃないはずなのに。

でも「簡単なこと」じゃないのかもしれません。

自分は機械じゃなくて、つつけばぐんなりやわくて、心も体もほんのちょっとの傷でもつけば痛くて血を流し、手当てしないと弱って死んでいくだけの生き物で、なのにどんなときも元気でいるなどというのは、全然簡単なことであるはずがない。

会えなくても身内や友人たちから届く、「大丈夫?こっちは元気でいるよ」というハガキ。

母から届いた食料品の段ボール、その中に手作りのフェイスシールドを見つけたとき、去年までの私なら、クスッと笑ったはず。(もういい歳をした子供になあ)と。今年の私は、くすっと笑ったあと、泣きたくなりました。悲しいことと同じくらい、優しいこともまた大きくなって誰かに届く時間なのかもしれません。

簡単なことじゃなくても、元気でいてほしいと、心から願っています。


3.11の夜が明けたとき、避難した小学校の教室で、一つの光景を目にしました。

同じ教室にいた小学生たちが、夜が明けて、明るくなると、みんな本をいっぱい広げて、日の光の下で読みはじめたのです。陰鬱な大人たちと違って、少しも怖がっていない顔つきで。

そうか。電気が使えなくても、本って太陽の光があれば読めるんだなあ。

教室の床で本に夢中になっている子供たちを見たとき、また2020年春、やっと窓の外にいつも聞こえていた子供たちの声が、戻ってきたときの不思議な安心は、忘れられません。


さて、本のご紹介です。

しめくくりは、東京創元社の本から。

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『薔薇の名前 上下』 ウンベルト・エーコ著・河島英昭訳


ぶあつい二冊のハードカバー(上下巻)。

30年前に刊行された本ですが、今も文庫になってはいません。

東京創元社の編集さんに理由を聞いてみたとき、こんな答えが返ってきました。

「『薔薇の名前』は、うちの社のフラッグ・シップ(旗艦)ですから」

本への自負に満ちた、誇り高い言葉でした。

この『薔薇の名前』は、私に、『ゆっくりゆっくり本を読む。一つ一つの言葉を味わう』ことの幸福を、教えてくれた本でした。


ジャンルは東京創元社のお家芸のうち二つ、ミステリ+翻訳もの。

『舞台は14世紀。中世北イタリアの僧院。

その僧院で『ヨハネの黙示録』になぞられて次々と連続殺人事件が起こる。

僧院のなかの迷宮のような奇妙な図書館と、奇妙な人間関係。

殺人事件の背後に見え隠れする、謎めいた一冊の書物…。

旅の途中に僧院に立ち寄って殺人事件に出くわしたバスカヴィルのウィリアム修道士と、お供の見習い修道士アドソの二人は、奇妙な連続殺人事件と僧院の秘密を解こうとする――。』

ミステリ好きのかたは、『バスカヴィルのウィリアム修道士と見習い修道士アドソ』で、すぐ『シャーロック・ホームズとワトソン』とピンと来たのではないかと思います(笑)。

静けさに満ちた中世イタリアの僧院での、奇妙な連続殺人事件…それだけでなく、旅をするウィリアム修道士のかかわる、中世の教皇と皇帝の宗教対立という歴史と、中世の僧院の暮らしや空気があざやかに物語を彩ります。

不可思議な殺人や、奇妙な謎の数々にわくわくしながら、同時に、ゆっくり、ゆっくり、読みました。

そのころの私は、知らず知らず『一気読み』をしがちだったように、思います。時間が惜しい、とか『少ない時間で多く本を読みたい』とか。

『薔薇の名前』の前には、そんなモンは通じませんでした。全然。

ごっつい本のなかは……ページの上から下まで、びっしり文字もじもじ。「……エート、次の段落は、どこかな???」と、さがしたくなり、ついページをめくっちゃうほど(先は読まないように気を付けながら)。

それが、流れるように美しい文章なのです。

まるで本当に中世イタリアの世界にさまよいこんでゆく気がしました。僧院の静謐な空気、お香の匂い、暗く冷たい石壁、誦経の声、修道士たちが工房で手作りする色鮮やかな写本…。そこを歩く旅の修道士ウィリアムと見習いのアドソ。言葉を追うごとに、自分の周りに中世イタリアの僧院の世界が立ちのぼってくる。

いつまでもひたっていたい、もう一度この文章を読み返したい。

先が気になるのに、一つ一つの言葉を味わって読むのがなんともいえず幸福で、ページをめくる手はどんどんゆっくりになっていきました。

否が応でも読み手をひきとめてしまう、そんな魅力に満ちた翻訳でした。人それぞれ好みがあると思いますが、私の大好きな文章のど真ん中だったのだと思います。

布団に寝そべって読みながら(←整体師さんには「寝ながら読まないで!椅子に座って読んで!とよく叱られます…)、『薔薇の名前』のページをめくり、うとうとすると寝て、起きて、また読んで…。

一気にラストまで読みきる疾走感も私は大好きですが、こんなふうに言葉一つ一つを丹念に味わう読書は、このときが初めての経験でした。

読んでみたくなったかた!二冊がっつり読むぞ!というお気持ちで、どうぞお読みくださいませ。

読むときのポイント

・プロローグの前にある、『手記だ、当然のことながら』という10ページ(文字もちっちゃい)、この部分を『読みづらい』と思ったら、飛ばして『プロローグ』から読むのをおすすめします。翻訳者の河島先生も、解説で同じように書いております。

プロローグ前で挫折するのはもったいなさすぎます!(←挫折しかけたひと)どのみち読み終わったら、この『手記だ~』に戻りたくなるはず。


それではまた、どこかでお目にかかれるのを祈って…。