『ラング世界童話全集』川端康成・野上彰=訳
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【登場人物:「レアリア」より】
オレンディア「あら、ミア、こんなところにいたの」
ミレディア「大おば様。
やっぱりどこの国でも、大きな図書館って、いいですよね。つい、この国の本を色々と見て歩いてました。
…昔、ギィがしぶしぶ、私に夜、読み聞かせてくれてたのを思い出しました」
オレンディア「はあ?ギィが?あなたに読み聞かせてたの?ぷぷぷ…そら、貴重だわね…」
ミレディア「でも、後で本を読んだら、なんだか、全然物語の筋が違ってまして…。思えば『俺はうまい具合にまとまる話はいけすかねぇ』とかいってたので、勝手に話を変えてたのかも……。竜退治に行った勇者が竜に返り討ちに遭ってなんか、死んでましたし」
オレンディア「そら勇者じゃなくて、凡人じゃないの…。まあ確かにギィっくらいの主役じゃないと、竜と激闘の末、殺すっていうのは、むりかもねぇ」
ミレディア「ギィは竜退治なんかいかないと思います。おなか減ってて、目の前にいるのが竜だけだったら、別ですけど。仕留めて、竜の肉で腹ごしらえすると思いますが。
お宝や、お姫様と結婚するために竜退治にいったりしないと思います。ばかばかしくて」
オレンディア「……。ふふふ、確かにね。
あら、ミアがもってるその本、それなら、ギィも好きかも」
ミレディア「なんだか、面白そうだと思って…」
オレンディア「『ラング世界童話全集』。
昔々、アンドルー・ラングという人が、世界各地の民話を集めて作った童話集よ。
巻ごとに、『そらいろの童話集』や『ばらいろの童話集』って、なんとも素敵な『色』の名前がつけられているの」
ミレディア「私のこれは『くさいろの童話集』ですね」
オレンディア「作者が小学生のころ、家にね、一冊だけあったの。『すみれいろの童話集』だけがね。そのころすでに、その本はすっかり古ぼけていたわ。作者の伯母たちがまだ子供のころに買ってもらったもののようだった。
伯母たちが家を離れる時に他の『色』をもっていったのかどうか…、とにかくその『すみれいろの童話集』だけが家の本棚に残っていたのね。小学生だった作者は何度読み返したかわからないくらい。
成長しても、この童話集のことは不思議にずっと心に残っていてね。
あとになって、改めて本を見返したとき、訳者の名に気づいて仰天したわけよ」
ミレディア「えーと、川端康成さんと、野上彰さんって、書いてありますね」
オレンディア「そう。まさかそのお二人が翻訳した童話だったなんてねぇ。まるっきり知らずに読んでたわけよ、小学生の作者は。贅沢きわまりないったらありゃしない。
で、『すみれいろの童話集』だけじゃなくて、ほかの『色』もあるんだって、まがぬけてる作者は遅まきながら気が付いたの。子供のころは、『すみれいろ』しかないと、思いこんでたから。
家にあったのは、ポプラ社のハードカバーで、奥付は昭和42年発行。
表紙絵は村上勉(むらかみつとむ)さん、さしえは駒宮録郎(こまみやろくろう)さん。…絵も、大物だわね…」
ミレディア「さっき、ぱらぱらめくりましたけど、最後『めでたしめでたし』ってなるにしても、物語の流れが…一味違いますよね」
オレンディア「そうね。かの川端康成と野上彰さんが訳したくなった気持ちも、なんとなくわかるというか…。
たとえば、『スタン・ボロバン(ルーマニア)』
「子供ができない夫婦が『子供がほしい』って願いにいって、家に帰ったときには、『100人の自分の子供』が庭にも家にもあふれていて、夫婦はゾッとするわ、100人の腹をすかせた我が子は家じゅうの食料を食べつくして、まだ食べたがるわ…そこで、夫は100人の我が子を養うために旅に出る。さてその結末は…」とかねぇ。シュールよね……」
ミレディア「私は『〈こわいもの〉をみつけた子ども(トルコ)』がなんとも…」
オレンディア「〈こわいもの〉を知らなかった子どもが、〈こわいもの〉を見つけに旅をして、ついに見つけた〈こわいもの〉とは…?
野上彰さんも、本の解説で『一生忘れない』って書いてらっしゃったわ。『ほんとうにこわいものというのがなにか、童話の形をかりて、ものがたられています』って。作者も、この話は忘れられなかった。大人になったほうが、ずっといろいろ思うかも」
ミレディア「……これ、ギィだったら、ってちょっと考えたり……」
オレンディア「たしかに。ギィが〈こわいもの〉を見つけるとしたら…もしかしたら…?
たった一冊なのに、不思議に忘れがたい童話がいっぱい詰まってた。
実は、『日本のお話』も収録されてるのよ。ラングが日本から収集した昔話」
ミレディア「あ、これですね?『魔法のかま(日本)』。
……『ぶんぶく茶釜』って、これだけわきに添えてありますね。ぶんぶく茶釜って、何かしら?ぶくぶく茶釜、なら、沸いている茶釜かしら?って思いますけど…」
オレンディア「って、外国のひとは謎に思うから、ラングは『魔法のかま』ってタイトルにしたのでしょうねぇ、きっと!
『魔法のかま』だと、西洋の魔女がでてきそうよねぇ。よもや『ぶんぶく茶釜』とは…。
読むと、ちょっぴりイギリス風になってて、面白いわよ。
ぶんぶく茶釜を見世物にする相談を主人公が友達にしたとき、友達は『お前を見世物にして金をとってもいいかと、とにもかくにも、たぬきにたずねて、ゆるしてもらわねばならない』ってアドバイスするのよ。このあたり民主主義のイギリスっぽいって野上さんが解説で書いているわ。契約主義っぽくもあるわよね。
日本の昔話が、ずっと昔、異国へどんなふうに伝わったのか、わかるのも、不思議で、面白いわよね」
オレンディアの手には、村上勉さんの表紙絵のハードカバーがあった。
『すみれいろの童話集』と白抜きされた背表紙のいろは、やっぱり、すみれいろ。
ミレディア「……? 大おば様、私のいまもっているのと、違いますね?私のはハードカバーでもなければ、絵の感じも、ちょっとだけ、違うみたい」
オレンディア「そう。作者の家にあったのは、ポプラ社のもの。ミアがもっているそれは、偕成社文庫ね。
大きくなって、ほかの色もあるんだと作者は知って、さがしたんだけど…(もうどんだけ遠い昔のことやら!)、ポプラ社ではなくて、偕成社文庫から出ているのを見つけたの。訳者は川端康成・野上彰さんで、文章は同じ。表紙とカットは別の方が新しく描かれているわ。
当時、作者は全冊そろえようと本屋さんで取り寄せをお願いしたのだけど、とりよせ不可能の『いろ』もあって…半分の『いろ』しか、そろえられなかったのね。
ポプラ社のものと、偕成社文庫版では、少しずつ、違いもあるみたい。
ポプラ社の『すみれいろの童話集』に収録されていたお話が、偕成社文庫では別の色に収録されていたりね。偕成社文庫で発刊するにあたって、新しく組みなおされたのかも。
それと、タイトル。ポプラ社では『とびいろの童話集』だったのが、新しい偕成社文庫ではどうやら『ちゃいろの童話集』と訳されているようだ、とか。
実は『すみれいろ』も、ないの。偕成社版では『むらさきいろ』か『くじゃくいろ』がそれに当たるのかしらね。野上彰さんの『解説』も、ポプラ社版のみにあるみたいね。
冊数も、ポプラ社は全15冊。偕成社文庫は全12冊。ポプラ社の『きんいろ』『ぎんいろ』と…あとどれかもう一冊、『色』としては、減っているわね。
作者は結局、偕成社文庫を全冊集められなかったから、もしかしたらちゃんと偕成社文庫12冊の中に全話収録されているのかもしれないけど。
『メアリー・ポピンズ』っていう物語の中に、『銀いろの童話集』ってふいに出てきたとき、作者はドキッとしてねぇ。案の定それはラングの童話集で…『ぎんいろ』は読めなかったにもかかわらず、そわそわしたのですって。おかしいわよね。
ちっちゃなミアにも、いっぱいお話を読みきかせてあげられたら、よかったわねぇ……」
ミレディア「大おば様、大おば様と大おじ様が家に帰ってきて、おそばにいてくださった時間は、どんなに短くっても、忘れません。一つも。
パチパチとはぜる暖炉の音や、大おば様の膝で丸くなってウトウトしたことや…ギィと、大おば様と、大おじ様の四人で、また…いえ、いまは、もう一人…ご一緒に連れてきたい人がいますけど…」
オレンディア「…ふふ。そうね。また、ね…。
『すみれいろの童話集』は、今も作者の手元にあるけれど、もうめくるとページがばらけてしまいそうなくらいになっちゃってる。
今、手に入るのかどうかわからないのだけど、作者が紹介したかった童話集だわね」
ミレディア「少しずつ、この国の図書館も、開いてきたそうです。
誰かが、見つけにきます、きっと。本が、読み手を呼びよせるのだと、思うから」
オレンディア「ええ。…それにしても、この国は面白いわね。特に『機械』」
ミレディア「誰もが使える、魔法のようですね。それがあっても、人はとても疲れてるみたい…」
オレンディア「うーん、『機械』って、人を救えるのかしら?わからないけど…。
私たちは動物で、血と肉でできてる。泣くし笑うし、他の動植物を殺して食べないと生きてけないし、眠らないと生きていけない。孤立が人を殺せるくらい寂しがりや。
『機械』って、動物を救えるのかしら…。
『聖者』が誰か救えたなら、『人』だから、救えたのじゃないかしら。
誰かに優しくされたとき、誰かにした優しさを受け取ってもらえたとき、重たい疲れや不安が、ふっと軽くなるのじゃないかしら。機械ごしに人のその想いがあれば、いいわねぇ。
あら、扉があく音がするわ。開館準備にきた司書さんかも。見つからないように、もう行きましょうか、ミア。
ね、その本、読んであげるの? 皇子殿下に?」
ミレディア「いえ、読んでいただこうと思いまして。私に。でないと殿下、至って無口なので…」
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アリルは本を読むのをやめた。
ミレディアはソファに顔を伏せて、すやすや寝入っている。
夜の窓辺ではカーテンがそよぎ、5月の夜陰から、ゲコゲコとカエルの鳴き声が聞こえてくる。一雨きたときは、ミレディアはまだ起きてアリルの物語に耳を澄ませていた。
アリルは誰かに本を読み聞かせるのなど、生まれて初めてだった。
アリルは仮面のない自分の顔に、指でふれた。
(…この国では、僕が人に近寄っても、『化けない』んだな…)
緑茶と柏餅とやらも、アリルは気に入った。
葉っぱごと食べるのが不思議だし、もちもちのびるおかしな触感がいい…。レナートとギィも『もちと、あんこ』が気に入ったようで、たらふく食べていた。ミレディアは柏餅もおいしそうにほおばっていたが、やっぱりチョコレートが一番好きらしい。
「大おじさまは絶対この柏餅好きそうです」と、ミレディアは自分の皿の二つの柏餅のうち一つをミルゼリスのために食べずに包んでいた。
アリルも、チョコレートが一番好きなのには変わりない。
「ミレディアかレナートがわけてくれる」チョコレート、という但し書き付きであるが。
アリルは童話集を置き、起こさないよう忍び足で、ミレディアの眠るソファのそばに、座った。明かりは必要なかった。この国は夜でも、ひどく明るい。
アリルはミレディアを盗み見た。
それから、くたりとたれたその手に、そろりとふれた。
指を伝って、ぬくもりと、言葉にできない何か不思議なものが自分の中に流れ込む。
こんなとき、アリルは時が止まったような気になる。
(僕の〈こわいもの〉はなんだろう。…ミアさんの〈こわいもの〉はなんだろう)
アリルはミレディアの寝顔を見つめた。ミレディアのそばには、羊のぬいぐるみがある…。
アリルには、どちらの答えも、わかるように思った。